怒涛の11月と12月が過ぎ去り、やっと猛烈に何かに追われている感じが少なくなってきたので
ずっとやろうと思っていた、11月の『瓶覗』公演の写真をアップしようと思います。
改崎万里愛(かいざきまりあ)さんがとっても素敵に撮ってくださいました。
ケルン公演と異なり、今回はこちらがホスト!側だったので、アーティストの受け入れオーガナイズや機材の準備など、随分手を抜いたり色々な人の手をいっぱい借りたりしましたが、やっぱり大変でした。
コロナ禍でみんな無事に到着するのか、滞在中みんな健康ですごせるのか・・・心配は尽きず。
学校側も、この『瓶覗』公演がコロナ以来初めての有客開催のコンサートとなり、感染対策やら申し込み方法の考案だとか、
課題が山盛りでした。
でもなんといっても、ケルンとは全く異なる会場の条件、全く異なる楽器(特にオルガン!)にも関わらず、メンバーでリハーサルできる時間が異様に少ない、という厳しい条件が本当に公演までの準備時間をストレスフルにしてくれたのです。
色々な事情仕方がなかったのですが、その短時間でどうやって京都版の作品を作り上げるのか!!
ケルン公演ほど和気あいあいという訳にもいかない場面も割とあったのですが、
色々な試行錯誤を重ねてみて、やっと方向性が見えてきたのが公演直前(またも)。
最後まで胃を痛くさせました。
『瓶覗』は即興演奏ではないけれども、演奏家に委ねられる自由な部分が沢山あって、演奏者たちには基本的に即興的な演奏をしている感覚があります。
記譜された内容は本当にわずかなパーツでしかなかったし。
一方で、作品の中では音楽はあくまで全体の一部に過ぎず、基本的には能声楽の青木さんの動きや動作、言葉の内容と音楽が同じくらいの比重に見做されているところがある。
音楽が独立して動きだしてしまうと、つまりいわゆる「インプロヴィゼーション」になってしまうと演出家の思惑から外れることになり、「No」が出ることがとても多かったのです。
ケルンと京都とで大きく異なるのは、京都ではオルガンの演奏台が上にしかなく、他の演者と物理的な距離が非常に大きかったこと。また、ケルンでは色を使った視覚的な演出が可能だったのに対して、京都では諸々の事情そうした演出が施せなかったことでした。
結果的に京都公演では、チャペルの2階席をステージと見立て、オーディエンス(観客・聴衆)は1階から「舞台」となった2階とオルガンを見上げる形で作品を鑑賞することになったのです。青木さんが木の固定座席の合間をジグザクに縫って歩き、
ストップしては色の名前を言う(歌う)というアクションと、オルガン・ヴァイオリン・シンセサイザーが呼応して演奏を変化させていく、という関係を作り上げたのも、ケルンにはなかった試みでした。
青木さんの歩くスピードや立ち止まってから発声するまでに振り返る動きまでが、演奏に対する「シグナル」になっていたので、私はオルガンの演奏台から常に斜め下を見下ろしながら演奏する、ということになりました。
なんとスリリングだったことか!
実のところ、演者たちにとっては本番よりもその日の午後に行ったゲネプロの方が手応えがあり、本番の方は「悪くなかったけど・・・」みたいな感触があった。
ところが、意外にも終演後の会場からは思ったよりもポジティブな反応を沢山頂けたのでした。
ケルンも京都も、本当に色々大変なプロジェクトだったけど、まずはどちらも奇跡的に実現したことにブラボー、と思っています。
皆さま、ありがとうございました。